平成最後のこの年に、多くのレジェンドがプロ野球人生に終わりをつげました。
その中で、最近引退で話題となり、2019年3月2日放送のサンデースポーツ2020「平成史」に出演予定の松井稼頭央(まついかずお)さんの歴史から学ぶ、第一線で活躍する方へ、「変化と決断」の考え方について伝えていきたいと思います。
【エピソードとともに学ぶ変化と決断力】
名前:松井稼頭央 (本名 松井 和夫)
生年月日:1975年10月23日
小学校3年生、9歳から野球を始め、高校時代は野球の超名門校 PL学園に入学。
1993年 ドラフト3位で西武ライオンズ入団
入団後、投手からショートへ「変更」
プロ2年目で、右打ちから左打ちに「変更」
プロ3年目で、レギュラー定着する。
2003年 内野手で日本人初のメジャーリーガーとなる。
3つの球団に渡り、8年間活躍したが、メジャーリーガーとして移籍をした当初は、環境の変化によってたくさんの苦労があった。言葉も通じない中、チームメイトとコミュニケーションを取る難しさや、普段の生活でもレストランの注文や買い物にも苦戦し、本当に大変な苦労を重ねた。誰もがみんな苦労はしたくはないと思うが、松井稼頭央選手も同じく、苦労はしたくなかった。だが、「誰もができる苦労ではない」と語り、苦労を苦労と感じないよう、ポジティブにとらえ、自分と向き合っていた。
◆第一線で活躍する人にとって、苦労はつきものかと思えるが、
「誰もが経験できる苦労ではない」と
前向きに自分の環境と向き合ってみると何か打開策が見つかるかもしれない。
2010年 楽天イーグルス 入団
楽天イーグルスに入団当初の松井稼頭央選手へのインタビューでは、ショートというポジションにこだわりを持っており、40歳になってもショートを守り続けたい気持ちが強くあるという話をしていた。
しかし、その後、ショートからセカンドへポジションを「変更」した。
◆第一線で活躍する人にとって、「こだわり」というものは必要不可欠だが、
時には、変化・変更に対して、順応に対応する謙虚さや決断力が、
時には成功を導くきっかけにつながることを、松井稼頭央選手は証明している。
2013年 楽天イーグルス創設初、キャプテンとして優勝に貢献。
その後、内野手から外野手へ転向・「変更」
2017年 楽天イーグルス2軍降格、コーチへの打診を断り退団。
そして、近年優勝から遠ざかっていた松井稼頭央の古巣である西武ライオンズから、
テクニカルコーチ兼任で選手として声がかかり、西武ライオンズへの入団を決意。
2018年 引退を表明後、チームが一丸となり西武ライオンズ優勝
楽天時代にはショートへのこだわりを語っていたが、
「いつ辞めても後悔すると思う、納得して辞めることがはたしてあるのか?と思う」と、
現役へのこだわりも語っていたものの、最後は古巣の西武ライオンズからお声がかかり、
「辞めるのであれば最後はここで辞めたい」と引退会見で語っている。
「現役」というこだわりも、自分の原点に立ち返ることで、考えを改めなおすことができるといえる。
◆第一線で活躍する人々も、いつかどうしても逆らえない過渡期がくる。
そんな時は自分の原点に立ち返り、
考え方を改め直す手段をとっても良いのかもしれない。
又、松井稼頭央選手は、若い選手とも親交を深め、信頼を得ており、
引退発表後には多く若手選手から引退を惜しむ声が上がっていた。
菊池雄星「稼頭央さんの練習する姿に奮起した。
最後、稼頭央さんとみんなで胴上げできるように、花道を僕らがつくっていきたいと思う。」
中村剛也「優勝して引退に花を添えたい。」
金子「僕らは何としても日本一になって、花道を作って稼頭央さんを送り出したいです」
スーパースターであり続けながら、謙虚にして驕らないその姿に、
チームメンバーが尊敬の意を表し、チームを奮起させたのである。
◆社員の人生を預かる経営者、部下を抱える管理職等々、
多くの人々は自分が人に与える影響を考えるべきであるといえる。
又、ここ数年の間で、内野手から外野手に転向、球団の変更、
選手を引退し2軍監督への変化・変更、すべての決断が松井稼頭央の今に繋がっている。
◆まさに、変化・変更への対応力・決断力こそが、
どの業界でも生き残るために最も必要な能力なのではないだろうか。
松井稼頭央さん、25年間の現役生活、本当にお疲れ様でした。
今後、ライオンズの二軍監督として
ご活躍されることを期待しております!
以上、変わることをいとわない強い男、
松井稼頭央から学ぶ第一線で活躍する人の「変化と決断力」でした。
ご一読頂きありがとうございました。